そう、遊びのつもりだった。
いやちゃんとした理由もあったのだが、自身が楽しんでいた以上、遊びと形容されても仕方がない。
そして彼女、比那名居天子は大規模な異変を起こし幻想郷の住人から返り討ちにあった。
返り討ち、というよりは集団リンチに近い攻撃を受けた気がする。
「……おかしいな」
彼女は心の隅では納得していながら、
その理不尽さに、憤る。
「それはともかく、暇だわ……」
比那名居 天子。
彼女は紛れもない天人であり、
そして同時に、不良娘であった。
天子は雲上の世界、天界から地上を眺めていた。
傍らには小鬼である伊吹萃香がちょこんと鎮座していた。
ここに来たばかりなのだろうか、彼女はまだ酒を飲んでおらず酔ってはいなかった。
天子はそれを一瞥すると、また地上を眺め始めた。
萃香が毎日来るようになったせいか、今こうして天界に来ても気にも誰も萃香を咎めなくなった。
それは追い払っても居座る萃香に原因があるのだが、本人は気付いていない。
「……ああ、そうだ」
ふと、萃香は思い出したかのように天子に訊く。
「暇なら地上に遊びにいったらいいじゃないか」
そう、そうなのだ。
楽しい事が溢れる地上に行けばこの退屈も紛れるだろう。
けど天子は地上に行きづらかった。行きたいのだけど、行きたくない、そんな矛盾した葛藤が地上へ降りることを躊躇わせる。
「だってほら……、私皆に迷惑かけちゃったし。その、き、嫌われちゃったかなーなんて、さ」
天子は恥ずかしそうに、小声で己の胸中を吐露する。
いくら我が儘でおてんばなこの天人も、それ以前に少女であった。
大異変を起こし、そのせいで幻想郷の住人に迷惑をかけたことを少なからず理解しており、
またそれを分かっているからこそ、嫌われてしまったのかもしれないと思うようになっていた。
「あ、酒が切れた。新しいの持ってきて」
「ああもう、勝手に持っていきなさいよ!」
……。
「って、酒が湧いてくる瓢箪はどうしたのよ」
「たまには天界の酒もいいかなーなんて」
既に出来上がってる萃香を見てため息を一つ。
これで弾幕勝負も平然と行うのだから凄い。
天子と戦った時でさえ、すくなからず酔っていたような気がする。
そんな小鬼から目を反らして、もう一つため息をついた。
「気楽なものね」
羨ましい。
その感情で埋め尽くされた。
そのやり場のない気持ちに憤りを感じながら背伸びをして帽子を被り直す。
「あーあ……」
「どうしたのさ、あんたらしくない」
「宴会の時は楽しかったけど、そんなことで仲直り出来たなんて思えないし……。表面上付き合ってるだけだったりして、なんて思ったりさ」
「あー……」
萃香が頭を掻いて、ため息をつく。
「あんたはさ、皆と仲良くなりたいのかい?」
「……ええ」
「うーん、困ったもんだねぇ」
この天人は勘違いをしている。
それも酷く悪い方向に。
実際、彼女が起こした異変は局所的に凄惨なものだったし、神社を壊された霊夢が怒るのも仕方なかった。
けれど後日に修理と宴会の形で仲直りした筈だ。だがこれをこの天人は表向きの仲直り、と認識してしまった。
この場合、彼女に何言ってもその考えを曲げるなんてこと……、そもそもプラス思考には傾かないだろう。
……厄介ね、これは。
「分かった分かった、とりあえず地上に赴いてみたら?」
「だから私は──」
「いいからいいから、ただし謝らないこと。あとお礼するときはちゃんと言うんだよ」
「…………」
「総領娘様、準備は出来ました」
「い、衣玖?いつからそこに」
「いや元からいたんですが」
「んじゃ二人でいってきなよ」
「さ、行きましょうか」
「うー……」
天子と衣玖がふわふわと漂いながら地上へ降りていく。
秋の妖怪の山は綺麗の一言だった。
紅葉した木々が茜色に染まり、いつもの妖怪の山とは違う綺麗さがそこにはあった。
「それにしても衣玖ったら空気読めないわ、衣玖がいなけりゃ行かなくて済んだのにー」
「空気を読む、のを履き違えているような気がしますが。……それに、総領娘様は少し勘違いしているみたいですし」
「というか空気よね、衣玖って」
「話を聞いてください」
はあ、とため息。
衣玖は何でこの子のお世話をしてるんだろうか、と隣人のお姉さんのように頭を悩ませる。
まあ実際天子はご近所の娘さんみたいなものなのだが。
「聞いてるわ、何を勘違いしてるって?」
それでも、退屈しなかったのは事実。
「はあ……。それを私の口から言ってしまったら意味がないじゃないですか。総領娘様ご自身で気付かなきゃ」
「えー、衣玖のけち」
「けちじゃありません。それこそ空気を読んでですね──」
「あ、守矢神社の巫女だ」
「…………」
「わ、分かった、分かったわ。話はちゃんと聞いてるから睨まないで!」
ふわふわと秋の山の上を飛行しながら、はたと衣玖が天子に訊く。
「総領娘様、何処にいくおつもりで?」
「決めてない」
「…………」
だろうと思った、
とまあ、そう思った衣玖でさえ何も考えていなかったのだが。
秋風にさらわれながらふわふわと漂っていたら、なんと気持ち良いことか、
しかし季節は秋、幻想郷の住人は冬を乗りきる為に備蓄を始めている。
それは妖怪にも当てはまることで、つまり、こんな所でのんびりと漂っていたら妖怪達の弾幕に当たったりしかねない。特に妖精とか無駄にテンションが高い神様とか。
「ねえ衣玖」
「なんでしょうか」
「あそこ行ってみようよ。ほら、珍しいものがある店にさ」
「おや、珍しい。天界の人がくるなんて」
香霖堂の店主、森近霖之助が天子達が入ってくるなりそう言った。
「人里にある店とは違う品揃えだからね、見たこと無いものばかりだと思うよ」
天子と衣玖は香霖堂の中を見渡す。
なるほど確かにそうだ、人里では見たことが無いものばかりだ。……少なくとも、何に使うのか分からない用途不明のアイテムが。
けどまあ、見慣れないそれらを見るのも悪くない。
「総領娘様、これはなんでしょうか?」
衣玖が指差す方を見る。
その先には四枚の羽根が円形状に規則的に並べていて、柱にかけられていた。
衣玖より少し高い位置にあるそれに、天子は何であるか考える。
「羽根があるから……、妖精?」
「柱に妖精をくくりつけてるのなら早くここから退散すべきです」
「ああそれは扇風機と言うんだ」
「せんぷうき?」
「ああ。この扇風機ってやつは羽根を動かして冷たい風を送ってくれるのさ」
「風を送ったら寒いじゃない」
「夏なら重宝すると思うけどね」
「あ、なるほど」
天子と衣玖は森近の話を聞いて、まじまじと小さな扇風機を眺める。
「でも、動かなくなっちゃってね。八雲紫が言うには電池とやらが必要みたいで、生憎電池は無くてね」
「……電気なら出せますが」
「いやそういう電気とは少し違うのさ、気持ちだけ受け取っておくよ」
森近がにこやかに笑みを作った。
少し経って天子は他にめぼしいものがないのか、衣玖に「さ、出るわよ」と陽気な声で話しかける。
「まあ、気が向いたらまた来たらいいさ」
「それじゃその時は」
衣玖が丁寧にお辞儀して天子の後を追う。
「次はどこにいきましょうか?」
「うーん、お腹減ったし食事をもてなしてくれる家とか」
「……」
「な、何よその目は!」
「いえ何でもありません」
ああそういえば、
あの魔法使いと人形師はこの森の何処かに住んでいるんだっけか。
「魔理沙……だっけ?その人の家に行ってみようよ」
天子の脳裏には、魔理沙が放つ大きな光線──マスタースパークが思い出される。
あれを何度まともに受けただろうか。負けては挑み、負けては挑みと執拗に挑んできたのもあって、手の内を出しきった天子は負けてしまっていたのだ。
全く、コンティニューのし過ぎだ。
まあそれは兎も角、
今は香霖堂から少し離れた魔法の森の上空にいる。
普通の人間ならば、立ち入る事が出来ない魔法の森。じめじめとした陰湿な空気が、上空にいる二人さえ顔をしかめてしまう。
「本当に、この森のなかに魔理沙さんはいるのでしょうか」
「いや……、まあ本人が言ってたし」
「人間が住めるような環境ではありませんが」
「そ、そんなことはどうだっていいのよ!探しましょ」
「はあ」
二人が森の中へと降り立つ。
案の定、森の中はじめじめとした空気が漂い、うっすらと霧がかっていて視界も悪い。
重苦しい空気が、この森には適応出来ないと体が反応してしまう。
「衣玖、貴女の袖に茸が生えてるわ」
「は、はいいいっ!?」
慌てて袖を確認する衣玖。
「嘘よ」
「───ッ!!」
涙目になりながらも、無言の訴えをする衣玖。
それをさらりとスルーし、奥へ進んでいく天子。
「あっ」
「どうしたの?」
「肩に茸が生えてますよ」
「そんなわけ……、えええええっ!?」
「と、取ってー!」
「さあ行きましょうか」
「無視すなー!」
やれやれ、と衣玖が呆れる。
「私が空気を読めば、統領娘様に私が笑顔で雷を呼び出して茸ごと丸焦げにしてしまうでしょうね」
「いや、それはやめて……っ!」
「ミディアムがいいでしょうか、それともレア?」
「わー!衣玖が壊れたー!」
「……何してんのよ貴女達」
そんなやりとりをしていたら突如背後から声がした。
その声は驚きと諦めのニュアンスがあった。驚きは勿論、「何でこんなところに?」という懐疑だ。
「あ、アリスさん」
アリスと呼ばれた少女が衣玖の言葉に反応し、一瞥した。
金髪にヘアバンドをし、透き通った瞳、白い肌をした綺麗な人形師がそこにはいた。
「魔理沙さんに用がありまして」
「ん、どんな用なの?」
「昼食を頂こう、と総領娘様が」
「…………」
アリスが可哀想にと天子を見つめる。
「だから茸を生やそうとしたのね……」
「いやああああ違ううううう!!」
「家に帰るついでに魔理沙の所に案内してあげるわ」
すたすた、とアリスが二人の前を歩いていく。
「あとそこの天人、よく見なさいよ。ただの落ち葉よ」
「……へっ?」
天子が困惑しながらも己の肩を見やる。
茸だと思っていたものは、アリスの言う通り確かに落ち葉だった。
「────ッ!」
「総領娘様もやったんですから五分五分です。まさかアリスさんがのってくれるとは思いませんでしたが。」
「なーに言ってるのよ、これくらい貴女が私達にしたことと比べたら小さい事じゃない」
はっ、と天子が我に返る。
「…………」
──私達にしたこと。
「さ、ついてきなさい」
アリスが手招きする。
「行きましょう、総領娘様」
「さ、着いたわ」
数分後、アリスの案内で二人は魔理沙の家にやってきた。
外観はそれこそ普通で、博麗霊夢や人里にいる人々が住むような家とは作りが違う西洋的な家作りに、二人は珍しげに魔理沙の家を見やる。
「さ、入りましょう」
「そうね、お昼をご馳走になるんだから」
意気揚々と二人は家の扉を開ける。
ノックしなさいよ、と言ったアリスであったが、その言葉は彼女達に届かない。
……まあ確かに、ノックして開けるような相手でも無いような気もするけど。
「おっ、天子と衣玖と……。それにアリスじゃないか」
「いや私は案内しただけよ、用がある訳じゃないし失礼するわ」
やれやれ、とアリスは自分の家へと帰っていく。
三人はさようならの挨拶をして見送る。
「……で」
魔理沙が、笑顔の天子と衣玖を交互に見ながら訊く。
「あんたたちは何しに来たんだ?」
「「お昼ご飯をご馳走してもらうために!」」
「帰れ」
「……けち」
「分かった分かった、私もこれからお昼なんだ」
おっ、と天子の目が輝く。
魔理沙は胸を張りながら、二人に向かって揚々と喋る。
「季節は秋!食欲の秋とも言うしな、妖怪の山の山菜や茸も美味しい頃合いだ!……と、いうことで」
「と、いうことで……?」
「アリスの家に行ってお昼を集りにいこうじゃないか!」
「……」
「……」
「なんだよ、喜べよ。魔法の研究してたから、うちにはろくな食べ物がないのさ。
だから私はあんたらにご馳走が出来ない。けどアリスはご馳走してくれる……筈! さあ行こうぜ、道案内は任せな」
魔理沙の演説に二人は訝しげに顔を見合わせ、仕方ないかと自分に納得させた。
「お腹減った……」
「総領娘様、もう少しの辛抱です」
そんな天子を見て、いたたまれなくなったのか魔理沙は懐から茸を差し出した。
「茸食べるか?」
「いやああああああああ」
「わっ、悪かった悪かったからっ、暴れるな!」
悪いことは何もしていないのに、と衣玖は魔理沙に同情してしまう。
ため息をついて、二人のやりとりを見る。
まあでもこの二人は仲が良いなぁなんて、思ったりして。
結局、天子の極端な考えはこの世界にとってはとても、とても異端なもので、
彼女には、その事に早く気付いて欲しい。
「あ、この茸美味しい」
「焼いて香りを楽しんでから食べるんだよ! あーあ……。」
彼女自身も、
どこかで気付いてはいるのだろう。
けれど、彼女の経験こそがそれを認めさせようとさせない。
「さ、行きますよ。もう昼過ぎなんですから」
「……で、貴女達は何しに来たの?」
魔理沙の案内でやってきた天子一行はアリス邸を見てまたもやその邸の作りにおー!と感嘆を漏らした。
そんな二人を見て、得意気にする魔理沙であったが、それもたまたま外にいたアリスの一声で掻き消されるのであった。
「お昼ご飯を集りに!」
腹を空かせた天子の声が響いた。
「……もう、仕方ないわね。入りなさい」
半ば呆れて、手招きして三人を案内する。
「ああ、それと衣玖は器用そうだし手伝って」
「分かりました」
「あとのそこの二人、じっとしてなさい。トラブルメーカーなんだから」
アリスの一声に魔理沙と天子はえーっ、と口を尖らせながらも大人しくリビングのソファに腰かける。
とにかくアリスの邸は凄かった。
家具はシックなもので揃え、整理整頓された本棚やアリスの手作りであろう人形は、まるで兵隊のように規則的に並べられていた。
ふと、気付くと僅かに紅茶の香りが鼻孔をかすめた。心身が落ち着くような、そんな香りだった。
……少なくとも、天界にある桃よりは至極一般的なのだけれど、その香りは天子にとっては新鮮だったし、何よりも一種の憧れを抱くものだった。
「魔理沙」
「ん、なんだ」
「いや、何でもない」
ふと、思うことがあって、
けど言い出せなくて、
折角、紡いだ言葉が露と消えてしまった。
──魔理沙は、私の事をどう思ってるのか。
嫌い、なのではないか。
それは魔理沙だけではなく、あの異変に関わったアリスも含まれるのだが、今この場にはアリスはいない。
したがって魔理沙にしか聞けない訳なのだけれども。
そんな魔理沙は相変わらずアリスの本棚から勝手に抜き取った本を暢気に読んでいた。
そんな考えも、
この平和そうな魔法使いを見る限り、杞憂なのかもしれない。なんて事も思ってしまう。
いや、思ってしまう。ではない。
そう、思いたいのだ。
天界に住む天人達は私に対して腫れ物を触るかのように接してきた。
丁寧な言葉遣いで話しかける天人もまた、時が進むにつれ天子の陰口をこそこそと言うようになった。
「…………」
それから、天子は表面上接してくる天人達から離れ、独りになった。
だからこそ、それが分かるからこそ、
下界の人達に迷惑をかけた私に、仲良くなってくれる人なんていないと思っていた。
全てが表面上仲良く見せてるだけで、もしかしたら天人達と同じなのかもしれない。
そう……、思ってしまう。
「魔理沙」
「ん」
「魔理沙は嫌いな人っている?」
嫌味な質問かもしれない。
けど、そんな質問に魔理沙はいつもの陽気な口調で答える。
「んにゃ、いる訳ないさ。だってほら、お前だって弾幕勝負するだろ?あの弾幕の隙間の意味を、考えた事があるかい」
この白黒の魔法使いは妙なことを言い始めた。
ここでまさか弾幕の話になるなんて。
「弾幕の……隙間?」
「ああそうだ、弾幕と弾幕の間の、小さな安全地帯」
「なんのことよ、今の質問と関係──」
「ある。……まあ、考えてみるんだな」
……考えてもみなかった。
弾幕と弾幕の間の意味を。
けど、それはただの遊びなんじゃないか。意味なんて無いと思うけど……。
「分からないわ」
「早いよ」
「仕方ないじゃない、分からないんだもん」
まあ確かに、と魔理沙は笑う。
「私しか分からないことだしな、質問した私が悪かった」
「えー!? それかあ答えられないじゃない。弾幕と弾幕の間の意味って何よ」
「いや教えない。多分、誰もが後々気付くだろうから」
「うー……」
なによそれ。
余計に気になるじゃない。
「二人とも、お昼が出来たわよ」
丁度よくアリスの声が聞こえ、魔理沙に聞く機会は無くなってしまった。
アリスが持っているトレイにあるものを見て、魔理沙が洩らす。
「おに……ぎり?」
「贅沢言わないの、私はもう昼食を済ませてたんだから」
トン、と天子と魔理沙の前におにぎりが乗っているトレイを置いて、アリスは悩ましげに喋る。
「昼食はおにぎりだけで良かった、って思うから。絶対」
「今日は何かあったけ?」
「さあね、鴉天狗にでも聞いてみなさい」
そんなやり取りを聞きながら、天子はおもむろに目の前に差し出されたおにぎりを一つ手に取る。
「あ、それは私が作ったんです」
後ろで衣玖の声がした。
おにぎりをまじまじ見ると、確かに衣玖が作ったように見える。
なんといっても形が綺麗なのだ、アリスが作ったであろうおにぎりも十分上手いのだが、このおにぎりは衣玖らしい几帳面さが出ていた。
それを、一口頬張る。
「お味はどうですか?」
「……美味しい」
天子の顔に笑顔が灯る。
「それじゃ私は鴉天狗に用事があるからまたな」
一つおにぎりを食べて、暫くして魔理沙はアリス邸から飛んでいった。
なんともまあ、自由というか。我が道を行くような人だと思いながら、天子は二つ目のおにぎりに手をつける。
「食べれるって……幸せっ!」
「総領娘様……!ついに食べ物の有り難みがお分かりに……っ!」
「そういうのいらないから」
そんな二人のやりとりにつっこみを入れながら、アリスは苦笑しながら紅茶を口につける。
その傍らでは上海人形が天子と衣玖の二人分の紅茶をティーカップに注いでいた。
「そういえばそれって」
ふと気付いたように天子は上海人形を指差しながらアリスに問いかける。
「自律してるのかしら?」
その問いは、"人形師"のアリスにとっては誉め言葉だった。
だからこそ彼女は笑って答える。
「違うわ、私が操ってるのよ。あなたにはひとりでに動いているように見えたかしら?」
「ええ、自律した人形だと思ったわ。私も一つ欲しいなぁなんて」
上海人形が紅茶を注ぎ終わると、天子に向かって一礼してとことこと台所の方に向かっていった。
「操ってるっても魔法の糸だし、この家の中くらいなら自由自在に動かせるわ」
「家事とか楽勝じゃない」
「操る術者が家事が出来なかったら人形達を操っても出来はしないわ」
台所から砂糖を持ってきた上海人形が、アリスの紅茶にこさじ一杯の砂糖を入れる。
「器用なのはいいけど、それくらい自分でやりなさいよ」
「パフォーマンスよ、パフォーマンス。一人の時くらいは自分でやるわ」
天子と衣玖が上海人形をまじまじと見つめる。
「これ、アリスの手作りなのよね?一つ私のために作ってくれないかしら」
「人形を大切にするなら、……まあ、考えておくわ」
談笑しながら、ふと思い立ったようにアリスは天子に、
「霊夢の所にはいったの?」
と、天子の心を見透かしたように問い掛ける。
天子は少し影を落としたような声色で、行ってないわと応える。
「魔理沙との会話を聴いてたけど何かあったの?嫌なら話さなくてもいいけど」
「話してたけど、けど……」
……天子は漸く気付いた。
この幻想郷の住人達は"少しおかしい"
けどその事実を認めたくなかった。
いや違う、その事実を信じられなかったのだ。
「ううん、大丈夫」
「総領娘様──」
衣玖がそわそわしていた。
この様子を見る限り、アリスと衣玖は事情を察したのかもしれない。
そして、それを心配してこの二人は───。
「大丈夫だから」
もう、大丈夫。
だって気付いたのだから。
「……一緒に行かなくてよかったの?」
天子は二人を残して博麗神社に行くと言い出した。
衣玖もついていこうとしたが、天子に制止され一人でいったのだった。
「彼女がそう言うのなら私の出る幕ではありません」
そう、と呟き紅茶に口をつける。
傍らでは上海人形がちょこんと座っていた。
「これは私の問題じゃありませんし、ね。アドバイスは出来ても彼女自身が実行出来なければ意味がありません」
くすりと笑い、衣玖は帽子を被って立ち上がる。
「あら、もう少し長居してもいいのに」
「ほら今日は"あれ"があるでしょう?私もお手伝いで行くことになってるんです」
「あー……、なるほど」
アリスは気付いた。
わざわざ今日という日を選んで天子と行動していた事を。
そしてそれは偶然と偶然が重ならないと起こるはずのない出来事。
「衣玖……、貴女もしかして──」
部屋の中の空気がキーンと冷えたような気がした。
いや或いは止まったという表現が正しいか。
帽子を深く被った衣玖の素顔がアリスには見えず、一瞬の沈黙がこの部屋を支配した。
「──もしかして?」
人形は動かない。
衣玖もまた、動かない。
「いえ、……なんでもないわ」
「そうですか」
衣玖がそう言うとにこやかに笑みを作ってアリスに背を向けて帰ろうとする。
彼女の背中はいつにもまして大きく見えたような気がした。
「それでは今夜またお会いできたら」
「いや私は遠慮しておくわ」
「それは残念」
そして帰る間際に衣玖が呟く。
「”今回も"いらっしゃらないのですね──」
天子が博麗神社に着いたときには既に日が沈みかけていた。
夕暮れ時の博麗神社は夕日に染まり、黄金色に輝いていた。それがとても綺麗で、紅葉した山々を背後に聳え立つ神社は荘厳とした雰囲気を出していた。
天子は神社の裏、縁側に回り込み霊夢が居るであろう居間に向かっていく。
秋の虫逹が鳴いていた。
静かでそれでいて壮大なオーケストラに耳を傾けながらこの神社の主を呼ぶ。
不思議と緊張はしなかった。
……当たり前だ。緊張する理由などもう無いのだから。
それは、杞憂だったのだから。
「霊夢」
この神社の主の名を呼んだ。
すると、返事は意外と早く返ってきた。
「あら、桃の人」
ガラガラッと障子を開けた霊夢が天子を一瞥するなり、居間に手招きする。
「あんた寒いでしょ、コタツあるわよ」
「え、あ……、うん」
あの巫女の事だから外で話をすることになりそうだと思っていた天子だった。
けど、まあ、なんというか。
「お茶でも入れる?」
「……うん」
なんか、妙に優しい。
「紫から貰ったポット……?って言うんだっけ。まあいいわ、それが温かいお湯を沸かせてくれるの。
いやあ嬉しくてね、この冬は久々に越えられそうだわ」
ああ……、いつも通りの霊夢だった。
さしずめ、そのポットとか言うやつを自慢したかっただけなのだろう。
なんて、気ままな巫女なのか。
少しだけ羨ましく思えた。
「……で」
霊夢がお茶を天子の前に差し出していつもの声色で訊く。
「なんの用かしら?」
厄介事は勘弁という表情で、天子に訪ねる。
「えっと……」
こういう対応は予想外だった。
いや結局の所、何も考えずにやってきたのだが、ここからなんて言おうか。
自分の中で反芻していた言葉が、消えて無くなった。
「ねぇ──」
不意に声がした。
霊夢の声だ。
あまりに煩わしくて、うんざりとした声で。
「私は嫌いな奴にお茶なんてやらないわよ」
──と、一言。
天子の心中を見たかのように、彼女は ──博麗霊夢は告げる。
「……はっ」
甘い言葉よりも、
どんな言い訳よりも、
彼女の言葉は素直で。
馬鹿みたいに正直だった。
「早く言いなさいよ……!そういうことはっ!私がどれだけ――」
どれだけ――、
どれだけ悩んだだろうか。
「あら、言ってなかったけ?私が異変を解決した後に」
霊夢がにやにやしながら名台詞かのように少しだけ語気を強めて喋る。
「幻想郷は貴女を迎えるわ、って」
確かに、名台詞だった。
少なくとも天子にとっては。
顔が熱い、視界がぼやけてくる。
恥ずかしいから?いや違う、
……嬉しいのだ。
「確かに規模が大きい異変だったわ、幻想郷の異変ナンバーファイブには軽く入るかもね。
でもね異変を起こしたやつらは皆、揃いも揃ってこう言うのよ」
お茶をずずーっとまた一口。
どうでもいいのだけど彼女は猫舌なのだろうか。
「もっと早く異変を起こしておけば良かった、ってね。私にしたら冗談じゃないけど、けどあいつらの言い分も分かる気がするのよ。
幻想となった皆は寂しいのよ、孤独で、何も分からずに自分の殻に閉じ籠もってさ」
確かにそうかもしれない。
天界から見下ろす地上の出来事を羨ましく思い、そしてその輪の中に入れなくて、ただ見てるだけだった。
それを寂しかった、と否定出来るだろうか。いや否だ。
「そんなやつの事をこの幻想郷の皆は理解してるのよ、かつては自分もそうだったから──、ってね。
幻想郷は寂しがり屋の集まりなのよ、どうしようもない馬鹿みたいなやつらがいつもいつも馬鹿みたいに騒いでさ。
……だからね、天子。幻想郷の皆は嫌いな奴なんていないのよ」
霊夢がその長い喋りに、こんなに長く話すつもりは無かったんだけどね、と小さく呟いて、天子を見据える。
天子はただただ、霊夢の話に頷く事しかなかった。
喉が震えて、今喋ってしまったら笑われてしまいそうで、そんな彼女が明るい太陽みたいな存在で、
ああもう、どうしたらいいの──。
「柄にも無いこと言うんじゃないわね、金輪際こんなことは話してやらないんだから」
天子は既に霊夢を見れずにいた。
コタツの上の机の木目をずっと見ていた。見上げるなんて出来なかった、泣きそうなのを堪えてるのがばればれになってしまう──。
「で、貴女の問題は解決した?」
「……うん」
ふう、と呟いて霊夢がお茶をぐいっと一気飲みする。
熱くないのか、それ。
「それで、なんだけど」
コタツから出て奥の部屋に行こうとして、ふと立ち止まる。
天子からは霊夢の背中しか見えなかった。
「今日さ、早苗逹が宴会やるみたいなんだけど。あんたも来る?」
「えっ……?」
「ああもうやりずらいわね!めそめそしてんじゃないわよ、今から宴会に行くわよ!以上!!」
ぴしゃりと、言い放って霊夢は奥の部屋へと入っていった。
天子はそれを半ば放心状態で眺め、そして気付く。
衣玖や魔理沙、アリスは宴会があるということを知っていた。
その上で、萃香や衣玖はわざわざ今日に限って私を地上へ誘導した。
最後に私を博麗神社にいかせるために。
私の事を考えてくれた。
その事実に、私は応えただろうか。
皆の優しさに、応えられただろうか。
「ごめんなさい、なんて言うんじゃないわよ。ありがとうって言いなさいよ。分かった?」
本当に、見透かしたように。
マフラーという最小限の防寒装備をして、紅白の巫女はにやりと笑った。
「さあ行くわよ、タダでご飯が食べられるんだから」
そんな格好悪い台詞で、
彼女 ──博麗霊夢は手を差し伸べる。
……暖くて、大きな手だった。
fin...
あとがき-
随分とご無沙汰でしたね。
おはこんにちばんは。レクです。
さて、初の緋想天キャラですね。
時系列的にはAnotherStoryの守矢一家が宴会をする話と同系列と考えておいていいでしょう。
ってこれ、気付いた人っていないですよね。
そんなわけで、天子の話です。
タイトルに関しては出オチ感たっぷり。
話の中身は、ほのぼのとした日常です。この短編集では珍しいほのぼの話。
けどまぁ、若干「あれ?」って思った人もいると思いますが、深く言及するつもりは無いです。気のせい。
そういや萃香の瓢箪は水を入れたらお酒が湧くという解釈だったのですが、どうなんでしょうか。やっぱり無限に湧いてくるのかな。
ちなみにこの話、衣玖と魔理沙、萃香逹は夕方に行われる宴会の事を知っていました。
天子の心中に気付いた衣玖が裏では色々と頑張っていたという設定があったりします……w
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